夜行のはまなすに乗ったのだけれども、渡島半島の雨が凄すぎて、八雲で一晩中泊まっていたら昼の10時ぐらいになってしまった。
明日は仕事があるので、どうしても帰らなくては。しかも、結構がっつりとした。
まあ、カラオケの撮影。200人とか250人を撮るんですよ。朝から夜まで。トイレにも行けない仕事。飯も食えない。動けない。そんな仕事。
まあ、電車が止まるなんて、ラッキーではないが、こんな瞬間に立ち会えたことはかなりラッキー。
きっと、どうにかなるでしょう。
僕は旅行運があるから。前にも18切符で強風で電車が動いてない時に2時間電車の中に閉じ込められて、動いた時に一ノ関で新幹線に乗せてもらった経験があるので、最悪それだろうと思っていたから、そこまで焦ってなかったし、お客もみんな冷静だった。
八雲は去年バイクで事故ったところ。
ここの八雲総合病院に救急車で運ばれたんですよ。
僕は運命的は再会を果たす。
次はバイクで行くから待ってってね。
人生巡礼したいから。
死ななかったのもなんかの運で。
人生とはそんなもんだ。
僕は八雲に助けられたのです。病院にも警察にも。バイクは大破したけど。ここが好きになれたし。
うれしかったです。八雲に来られて。
バスがかなり出ていて、これは11台目か14台目かだったかなー。
夜中の3時ぐらいからバスの手配をしていたらこんな朝に。
脱線したのはこれです。
バスに乗ったのですが、ついでに去年事故った場所も通って。
なんかぞっとしてしまった。
森駅に到着。
災害用の5年保存が利く水と3年保存が利くカロリーメイトを貰った。
その後函館で青森までの急行に乗って、そこまで乗ると、はまなすの急行券を行使してしまうので、払い戻しまで来ませんよ。とアナウンスされた。
この後、鈍行で帰ったら、福島より下には行けないことは時刻表を見て分かっていた。
お客は状況に従うような感じだった。
それは北海道から東日本にJRの管轄が変わるからかもしれない。みんなは重い空気、ため息まじりのような。みんな青森で降りた。
でも、僕はかすかな望みにかける為、そのまま新青森まで乗った。
客もまばらだ。
新幹線を使うなんてアナウンスはされてないのだから。
皆さまの旅行(もっと上品な言い方だった余暇みたいなそんな言い回しの言葉)に計画を違うようにしてしまったことの遠まわしな言い方の言葉。それをすいません。っと。
そんなことしかアナウンスしていなかったから。
僕は新幹線の改札の人に説得したら、あっさりと大丈夫ですよ。と。
もう一人違う人もいて、僕と一緒に説得した人はその人だけ。
他の人は窓口の方からみんな通って行った。と言っても10とか20人ぐらいしかさっきの電車から新幹線乗った人は見なかった。
証明書発行してくるから、どこまで新幹線に乗れば帰れる?っと言われ、仙台まで行けば東京方面は最終よりも少し前で帰れるので、仙台まで乗ることに。
証明書の発行に結構8分ぐらいかかったら、なんと、ただの紙切れ。
前の18切符で乗った時は、誘導されて乗ったから、何もなくみんな乗せられたような感じだったから、紙切れだー。っとびっくり。
間に合いました。飯食ってないからサンドイッチが欲しかったけど、買う時間も無かった。
ただの切符で新幹線に乗れる喜びをビールで。車窓がきらきらと眩しかった。
途中いわて沼宮内かな、子供を抱っこしている女の方が居て、子供が泣いていたから、僕のリックに着けてある人形を外して、あやかしていたら、泣かなくなって。僕ぐらいの年の親と少し話をしたら、なんと栃木に帰るのだと。かなり県南の方の人で、お盆で帰省していたと。
いやー、僕、壬生なんですよー。と話して、栃木トークしましたよ。
あっという間に仙台で、仙台で降りて、ここでお別れで、僕は鈍行に乗り換えて、やっとここでパンとサンドイッチを買って、電車ん中で食べる。
ずーと東北本線来て、もし、普通に帰った時の定時より一時間遅いぐらいの時間で着いた。
良い旅ができたよ。
いろいろ有ったけど。
利尻山登ったり、釧路湿原とうろYH泊まったり、釧網線乗れたり、電車内で出会った人に駅弁貰ったり、桃岩荘のなまこさんとギター談話したり、旅先での洗濯物、いろんな人たちに出会えたこと。
十日はあっとゆう間だった。長くなかった。短かったなー。
僕は30歳。
十日がまだ最長の旅です。フランスが2009年の12月20日から30日まで旅行していたので、その時と同じ十日です。この時は長く感じたのに。
良い旅ができた。
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