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大人とこどもの分岐点

林由朗のブログ的ほーむぺーじい 旅をして、季節を愛でて、音楽して、日々の生活

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かまってちゃんはいいよね



 神聖かまってちゃんはいつ聞いてもいいよね。


秋に映えるは。


心おかしくなりそうなときや頑張りたい時とかいつもそばにかまってちゃんが居たなー。

リアルタイム2010年NHKのMJ深夜枠のかまってちゃんは衝撃だったなー。


全ていい曲。

やっぱ、夕暮れメモライザか23歳の夏休みか僕は頑張るよっはめちゃくちゃ聞いたなー。

最近アルバムが出るから、当分の間かまってちゃんで頑張れそうだー。音楽難民にならずに済む。











かまってちゃんと出会えて本当に良かった。めちゃくちゃかまってちゃんのギターが僕の教科書。バイブルだから。


人の心ん中っ。


人の心ん中の辛さは、その人しかわからない。

全て知った様な感じで言われるのは嫌だ。


かまってちゃんは救いだなー。

かまってちゃんっていいよね。おれもかまってちゃんでたくさん救われたよー。






 



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自分はいつもそうだ

 
 自分はいつもそうだ。

っと思ってしまう。



恋愛だけはいままで全く人生経験が無いなー。

みんな手をつないだり、キスしたり、エッチするんだろーなー。



女の子が出来た時は井の頭公園でもとか思っていたけど、もう30になってしまいそうだー。



23歳で大学を卒業してからあっとゆう間だ。


それ以外はいろんなことしてきたんだけど。

僕の人生は恋愛は‥‥。って感じだなー。



ふと、思ってしまった。

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私が思う環境



 写真とか美的センスからの環境についてお話します。

私が写真から導いた考えなのですが、時代的環境と社会的環境が有ると思います。


 時代的環境
昨日の様に小学校、中学校、高校、大学、社会人、家庭を持つ。
こんな様に文字で書くとさっぱりしたしまいますが、小学校なんて世界を知らないし、すべてが広大で、夢に希望に。
その、時代時代の環境が違ってくると思うんですよね。
人間が成長していく中で精神が形成されて、いつかは家庭を。っと、そんなんなってくるんですよねー。

営みってやつです。
何度も言ってる「人それぞれの人生のドラマです」
それが一つ。

 社会的環境
これは大学の時、たくさん考えた物事です。
その時も今も考えはさほど変わってませんが。
家族の時に居る顔と地元の友達に見せる顔、大学の友達に見せる顔、一人の時の顔が僕は特に違うので。
それってなんなんだろう。そんなことばっか考えて生活していました。

僕は基本陽気です。しかし、一人の時はめちゃくちゃ静かです。
地元は怖そうな人とか普通の人ともつるむが、大学の友達は「そんな風には全然見えない」とよく言われました。
そんな周りの環境のことです。


そうやってみんないつの間にか変わってったり、心変わりや情緒の変化といった、そんなのが知りたくて。

そうゆうのは知らず知らずに過ぎて行ってしまったり、気づかずに過ごしてしまうことが多いと思います。


今もなんだか分かってないけど過ごしています。
経験を踏めばわかることでしょう。


上の写真はフランスに一人旅したときのフランス人の友達との写真です。この時はベルギーですが。
4時ぐらいの光に見えますが、この時まだ12時ぐらいです。

環境はどんなもので、なぜ大切だか今回とその前のでお伝えしましたねー。
ではでは。
閲覧していただいてありがとうございます。

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人の成長を見届けられる。続き3



 最近、夜もすっかり涼しくなりましたなー。
日差しはまだ暑いですが、風はすっかり涼しくなりました。
今日(とゆうかもう昨日になってしまった)は仕事がめちゃくちゃ辛くて大変でした。久々に辛くて、一リットル飲み物飲んだ。

ほんと涼しくなったから夕方、河原にでも行ってビール飲みながらギターでも弾きたい季節になりました。

川の向かった歌うのは楽しい。



 さてさて、人の成長が見届けられる。の評判が良かったから(私が勝手に思ってるだけなんですけど)、アンコールみたいな感じで写真を貼りました。

卒業式の時です。


割とコンスタントに学校に行っていたから、顔見知りの生徒も多くて。

やっぱり、中学生の時は中学生の写真、高校の時は高校生の写真、その時の写真は絶対その時にしか撮れない。

流れる人生を止めることは出来ないと思います。
僕は中学校の時から、「高校に行ってしまうともうこのメンバーと会えなくなってしまうから写真撮っておこう」っと、その時から思っていて、卒業してしまうともう、その時の写真は撮れないから、かなり後悔したことが有ります。
だから、学生時代の時は学生時代の時の写真しか撮れない。


ナンバーガールの言葉を借りれば、「青春の息吹を感じてる」そんな瞬間です。


そんな人生は長いから人生のひとひらその時が好きなんだ。けど、そうゆうのって一瞬だから。

人の営みとかバイオリズムは。

この子たちに出会って、今も連絡取って、会って。
そうゆうのってしあわせだと思う。

大人になってくると無くなってしまうから。


まあ、頭固くせず、そうゆうのが良いてことなのかな。


人はほんとに美しいです。
写真がものをゆっているので、それ以上は言わなくても。


酒飲みながら文章書くから、訳わかんないことほざいてるかもしれませんが、大目に見てくださいねー。



最後に環境として、僕とこの子の環境はこんな感じ。
高校三年かなー?確か?



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仮面浪人時代

 
 
 仮面浪人の時のことです。

頑張れるBGM



仮面浪人なんて普通にできるものじゃないですからねー。
僕は一年半仮面浪人しました。今ではいい経験をしたなーっと。考えています。

そもそも仮面浪人は浪人とは違っています。

例えば、大学受かったんだけれど、学びたいものが出てきて、大学行きながら浪人しているような感じと思っていただけたら。

専門行ったけど、やっぱ大学行きたいとか、社会人でも大学行きたいとか。

何か学んでたり、しながらの浪人みたいな。
多分、仮面浪人って、そんな定義だと思います。深くは分からないけど。

あまりやる人も少ないっしょー。


おれは正直辛かった。



 それでは私の仮面浪人時代のことを話しましょう。

うちが経済的にお金が無かったので、お金を工面するのが大変だったから、短大でいいやー。っと、栄養系の短大。
行って、最初は良かったんだけれども、栄養系なんで男は少ないし(150人中15人)、行ってたのが日大の短大で、付属の落ちぶれしか来てなくて、男で短大はよくないだろー。前期過ぎた辺りで、「おれは道を間違えてしまった」っと、堕落モード。

そんなとき、芸術学部の学校祭に行ったら、楽しくて楽しくて。

「俺の場所はここじゃない」って思って。

行きたいなー。行きたいなー。っと、もやもやしていたままで。


何が大変だったか。っと言うと。
親に「違う大学行きたいんだけれど」その説得は大変ではなかったけど、言いだすのが大変だった。
いまでもその時のことはなんとなく覚えていて、
道を歩きながら「行きたい大学が有るんだけど、勉強して行っていいですか?」って。


それからは勉強の日々です。
親も優しくて、社会人入学とか編入学の対策や試験の本が少なからずあって、買ってくれて。
ただ、仮面浪人の大変なところは、周りとの温度差。僕の場合、周りは栄養士で頑張っているのに、僕はそれをしつつの、大学受験なので、よく怒られてた。「君は何しに来てんの?」。
僕は周りに行きたい大学が出来た。って言ってたし、それもあって、友達関係を断ち切ってたし。

僕の場合、学力をつけるよりも、短大だから編入で入った方が良いだろう。
たまたま欠員募集編入があって。辞める学生が多いから、それの欠員みたいな感じで。
自分は、折角金を払っているから、短大の卒業と栄養士とフードスペシャリストの資格だけは取っておきたかったから、ビジョンを一年半に定めて、勉強したのだけれど。

正直孤独だったなー。

うちの大学は美術系だから、学力プラス実技が加わるから、自分はそんなに頭が良くないので、大学、短大からの編入は学力が免除されて。

その分、実技は相当やりました。

作品を作らなくてはいけないから、写真撮って、もちろん黒白なので、自分で現像して、プリントもして。
僕は写真部なんてはいりません。好きなようにできないんですよ写真部って。その時はコダックのフイルムでT-MAX現像液しか使っちゃいけないとか。制約が多いし、なんか陰湿な感じで。

だから、平日は授業でて、金曜に授業終わって、鈍行で静岡から栃木に帰って、その日から暗室に入って現像して、プリントして、作品作って。寝ないでやって、仮眠取っては作って、月曜に始発で出て、11時半に静岡着いて、学校の授業。
そんな日々で、4月ぐらいから一か月に一回か二回帰って、帰らない土日は写真撮って。
入試が12月の確か9日で、10月11月は毎週家に帰っては現像、プリントしていた。
写真って、黒白なんて特に自分で作らないと「諧調」かいちょうというんですけど、黒と白の中にも無限のトーンが有って、下手な現像だと諧調が無くて、コントラストの高いぱきぱきの写真になるんですよ。しかし、現像や撮り方がうまいと、黒と白と灰色がすごく美しくなるんですよ。

そうゆうのはやらないとやからないし、私は独学と言いたいとこですが7割が独学で、たまたま短大の警備員の人が日大芸術学部の写真学科だったり、近くに写真学科の人が居たお陰で、写真見せては、こうした方がいいよ。とか、アドバイスもらって。もうちょっと現像をこうしたほうがいいよ。とか。


入試前の一週間は授業休んで、作品を並べて、これは有り、これは無し。とか、プレゼンテーションの練習とか。本当は入試の3日前は何もしたくなかったけど。結局前日までプリントが終わらなくてしたいた。

それで、入試で、新幹線のドアまで家族が見送ってくれたかなー。確か。
新幹線の窓からのどんよりとした曇りを眺めて。受かるかなーとか、緊張しないで行けるかなーとか、いままでの仮面浪人の辛かった日々を思い出して、そんな気持ちで大学に行った。

今記事を書いていても、その時の天気は今でも覚えている。曇りで、午前中の筆記試験の後、外でカロリーメイトとリポビタンDを食べて、雨が降ってきて、外に居た編入試験受けに来た人と話して。午後は作品のプレゼンテーション。(この時10人受けに来て、4人と話して、後で合格して学校行ったら、話しした人みんな落ちてて、入試ってそんなもんだよね。って思った。)

全てが終わり、安堵感でコンビニで傘買って、気持ちがほっとして、久しぶりに表参道を歩きたくて、何をするわけでもないけど、歩きたくて、雨もあがって、4時か5時で暗くなっている時に、自分から電話したのか、家族から電話してきたか忘れたが、表参道と原宿の交差点の歩道橋で、電話して、「どうだったー?」みたいな会話、その時の光が美しかったなー。
ゆっくり静岡に帰って、夜の8時ぐらい。どっかによるとかそんなのではなくて、いままでの緊張の糸が切れた感じで、安堵感があって。

その後、10日後に合格通知が来て。無事、受かったと。

うれしかった。

正直、仮面浪人は孤独だった。精神がおかしくなりそうだった。
そんな今までを思い出した。


テレビは見ないようにしていたから、短大の二年間の時事は全くない。
いきずまったときの気分転換は音楽聞くか、外の空気を吸うか、そんなことしていたなー。
短大の時の女友達は居るけど、今でも連絡取ってる男友達はいないなー。

それも仮面浪人のせいかも。
でも、すげー辛かったけど。今となっては良い思い出で。
正直、今の自分だったらできないなー。
決意が固かったんだろうなー。
目標があったから。

辛いことが多い分、受かった時の喜びはひとしおです
浪人は人を強くします。私は経験して良かったし、軽い意識ではないのが仮面浪人です。他の物を蹴るのですから。



自分の人生ですからね。
変えるのも自分です。

浪人が良いとは思うけど、自分は学校に入っちゃってからだったので、仮面浪人でしたよ。
仮面浪人は忍耐強くなったし、孤独なので考える力が付いた。いい経験ができた。
 

そんな仮面浪人でした。

 



授業はこんな感じでしたー。


仮面浪人の時のことをひきこもりの方から書いた記事です↓よかったら参考にしてください。

ひきこもりして良かったところ悪かったところ



 追記(2014年5月22日)
志望校に合格したら、一人旅をすすめます。
今までの辛いことから解放させてくれますよ。



これは稚内です。
気持ちを解放す感じです。


今はすごく辛いけど、受かったらすごく楽しいので、今は辛くても我慢ぐらいで頑張りましょう。


芸術学部行ったんで人生ががらりと変わったのも仮面浪人の経験あってのものです。

 





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