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大人とこどもの分岐点

林由朗のブログ的ほーむぺーじい 旅をして、季節を愛でて、音楽して、日々の生活

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ひきこもりして良かったところ悪かったところ

私は今までで二回ひきこもりになったことがある。

一つは仮面浪人をしていた時期。
二つは大学を卒業して二年目の時期。

そんなひきこもりの話です。

ひきこもりを非とみなす社会的な風潮はありますが、私はひきこもりして良かったと思うし。中には肯定的はことを言う人もいます。

例えば、爆笑問題の太田光さんとか。

 


あの人は高校の時のひきこもり時代を肯定していて、「あの時嫌だったけど、そのお陰でたくさん本を読めた」とも言ってるし、印象的なのは修学旅行に本を10冊持って行き、グル―プの人にまかれてしまって、時間になったら帰ろうと、喫茶店で本を読んでいた。と何かのテレビで聞いた。

この写真は大学の食堂の時事掲示板。
仮面浪人の時は爆笑の太田と同じ大学に入りたいと勉強した。

当時ボキャブラ天国見てて、「えっ?爆笑って日芸なの?」って、当時は違う学校行ったけど、仮面浪人して日芸に入り直して。


ボキャブラ天国(とある魔術と科学のボキャブラ天国)





有名人のひきこもり談はこちら


では私のひきこもり談です。

一つ目の仮面浪人の時の話

短大に入ったのだが、食物系で150人中男が15人しかいなく、しかも栄養士過程を放棄する人も多く、私のクラスの男は私しか栄養士免許取ってないと思う。

家から離れ、静岡県に来ていて、親に悪いから、授業は出席する、単位は落とさない。
でも、前期で、「あーあ、道間違えたかなー?」っと、少しおかしくなっていて。

後期になったも覇気が無く、「おれはどうなるんだろー?」って思っていた毎日に、落ちてた自分に美術系の大学の学校祭行ったら、もう楽しくて楽しくて。「こんなところに行きたいなー、学びたいなー」っと思ってからの仮面浪人生活。

親に「違う大学行きたい」というのは本当に勇気を使ったよ。


それから一年と二ヶ月はひきこもり。
学校は行くけど、友達と縁を切るように誘いを断り、極力外に出ないで勉強。
写真学科だから、写真を撮ったり、感光材料を買ったり、栃木の実家に帰ったりして現像はしたけど、静岡に居る時は「あー、今日誰とも口を聞かなかった」とか「スーパーにも行ったない」とか本当に休みの日は何してるかわからないような感じだった。

精神がおかしくなったのは19歳の8月で、地元帰っても人とも会わない、話さない。ひきこもり症で。

と考えると一年と五ヶ月精神がおかしかった日々。

家にいれば家族としゃべると思うが、一人暮らしなので誰とも話さない。
孤独に写真の本読んだり、写真集見たり、短大の課題やったり。



一番だめにしたのは目的が曇り始めた時の先の見えないもの。
それからの大学に入り直す為の勉強と目的が見出せたのがよかった。

何でもない日常から解放されたくてひきこもって勉強した。
自分の意思を伝えなくてはならないので、何を伝えればいいのかとか、感覚向上なことばっかりやっていて頭おかしくなりそうだった。

一人の孤独なひきこもりのお陰で無我や自我を学んだような気がする。



短大の頃書いた手記は19歳の時のことは書いてあったが、20歳の時のことは全く書いてなくて、その時の状況が分からないが、大学の卒制の主査の前日にしたためたものがあった。

「何かについて考えた。
調理に興味があったから栄養士の学校に入ってみたら、世界が違く何をやっているんだろうと。そんな中、美大に行きたいという目標が出来、みんなに合せなくてもいい考え。一人で自分と向き合うことが多くなったから、孤独に自分とは何かと考えていた。写真の在り方、自由とか存在とか。一言で言うと『考え』を学んだ」っと書いてあった。

そこに色々書いてあって、今思うとひきこもりの理由も。

短大の男の中に嘘しか言わない人がいて、自分が3時間ぐらいかけてかいたレポートを毎回「見せて」と言って、10分ぐらいで写すとか。

なんかそれは入学当初で、自分はその頃、正義感と良心が人一倍強かったから、本当は嫌だったんだけど、レポートを見せる日々。ある時、「嫌だから見ないで」って言ったのかなー?
もう、その子の顔も見たくない程その時は嫌いだった。

毎日学校行くのが苦痛で、よくお腹壊して授業中トイレ行かせてもらって。自由退室が無いから短大は。
お昼も食堂には女しかいなくて、男子校上がりだから、「誰かに見られてるんじゃないか?」っと、飯を食べるのも苦痛で、一人で食べたりしたいた。

(こんな嫌な記憶、もう、忘れていたよ。
記憶の消去能力ってすごいねー。
今思うと)

後期からは仲いい先輩がゼミ室で食べていたから、そこにお邪魔するような感じで。
そこの人たちも理解があり、仮面浪人を後押ししてくれて、頑張れたような感じだったかな。

そこらへんがひきこもり因子だったのかもしれない。

大学にも編入学出来て、無事受かって。
10人受けて、4人合格の枠。僕の時は。



今思うと、精神を削ってまで病んで、その中で、心が強くなって。その時の仮面浪人をした時は素晴らしい経験で。自分の人生の糧になった。ひきこもって、友達との関係も絶ち精進していたことは素晴らしい時間だった。

それが一つ目のひきこもり。

でも、未だに短大の頃は友達が希薄で、同級生は二人の女の子としか連絡を取ってないし、その二年間は時事を全く知らなくて、大学の人や地元の人に事件とか時事の話されても、全く分からない。
インターネットもつないでないから、社会のことが全く分からない。

今なら発狂しているだろうけど。ネットの無い環境。

浦島太郎現象と当時は呼んでいた。
年取ったとかじゃなくて、時間が空白なのだ。というので、自分で勝手に名づけた。




二つ目の大学を卒業してから二年目の時の話

就活はしたが、自営なもので、就職せず、一年目はバイトと家の手伝いをしていて、そん時はまだ都内に家を借りていたからよかった。

しかし、二年目に栃木の実家に戻って、5月になったら、急に暇になるんだけれど、それから精神おかしくしちゃって。5月から7月まで仕事以外はひきこもり。

「同期のみんなは就職して、なんで自分はこうなんだ?」とか。
「あー、死にたい、あー、死にたい」っと毎日言ってたような気がする。

今までは目的意識があったのだが、何もなくなってしまうと人間だめにする。
他の大学行こうかなーとか、何か見つけたいこととか考えたけど、何もなかった。

この時は人と会っても会話できない状態だったな。
震えてしまうんですよ。極限まで行くと。自分でも何言ってるかわからない。

この時は本当にだめなひきこもりだった。
本当におかしかった。何がおかしいのかも分からない。
奈落の底に落ちていくのが。
鏡で顔を見ると血色も悪く、青い顔をしていた。

よく会っていた友達と会っても、うまくしゃべれない。


一番おかしくてこのままじゃだめだ。と思ったことが、家の二階の外で七輪で兄と鶏肉や豚肉、野菜を焼いていた時、自分でも分かる変な感じ。「なんだろうこの感じ、おかしい、食べられない、食事が喉を通らない。家族と話すこともなんか自分でも何を言ってるか分からない」って、なり。

ひきこもりの悪いところ、分からない。
何がなんだか分からない。


それで、生活するのがきつい。寝たり起きたりするのも。


それが6月で、その後一ヶ月は続いた。

そんな時、親もすごいのが(今思うと解放させてくれたし、よくそんなことをさせてくれたと思う)、うち叔母方の弟夫婦が80歳でフィリピンのセブ島に7月下旬に行ってくるから、行けば。っと言われ、こんな精神状態で、よく行けと言ったなー。って思う。

その時は行きたくないけど、まー行くか。
なぜ行くかと言いますと、その弟夫婦の娘がフィリピンでスキューバダイビングのお店を経営してて、御守りも兼ねて行きました。

そしたら楽しくて楽しくて。

アジアの熱気を肌で感じたんですよ。

金土日に夕方6時になると4車線道路を2車線にして、机とか出してみんな道路でどんちゃん騒ぎ。スピーカーが大音量で町に響く。

みんな昼間から木陰で寝てる。
夕方4時にスコールが来たら涼しくなるので活動。

その当時、一日500円貰えればいい方。物価はタバコが40円

女の人は化粧はアイシャドウやチークを塗るぐらいで、日本見たくけばくない。
みんな幼く見える。
たしか小学が6年で中学なのか高校なのか分からないが4年が学校の教育年(今は小学8年中高4年らしい)。


片言の英語で色々現地の人に聞くのが楽しくて。みんなフィリピンの人は優しいし。
私は異国に行って、日本人がくそだと思いました。「日本語しか使わない。日本人が船から降りて、中から清掃員のフィリピンの人たち(ウェーターの人では無く、表に出てこなかった人)が
出てきた時、『エー』みたいな言い方してた旅行者家族がいて」、お前たちは最低だな。って思っていた。

向こうの現地人に「イヒ」と私は言いまっくっていて、和み楽しむ感じで。まー、意味はおしっこの意味なのですが。(フィリピン人は大爆笑。あー、フィリピンは9000の島国で、フィリピンの言葉も大きく15ぐらいあり、セブ島では通じるけど、他の島は通じないかもしれない。)

最低な人たちが「何を言ったんですか?」って言われたから、「挨拶ですよ、魔法の言葉です」って言ったかなー?あまり覚えてはいない。


色々あって、ひきこもっていた時の気持ちが日本に帰ってくる時には、どっかに行っていた。

Open my mind.
でしたね。




見てくださいよ、この景色。
楽園なんじゃないのかなー?って思います。






 まとめ
一つ目の仮面浪人は自主的にやったひきこもり。目的もあった。
二つ目の大学卒業してから二年目のひきこもりはいつの間にかなっていた。知らず知らず。

一つ目の方は思索に明け暮れた。自分と向き合えた。しかし、友達はいない。そこが失った時間とか思い出を共有する人がいない。こっちのひきこもりはやった良かった。辛かったが。
二つ目の方は先が見えない、目の前が真っ黒け。分からないうちになっていたのが怖い。落ちていくのも早いし、解決方法が見つからなかったが、世界が全く違うものになったら、なんだか今までのことがばかばかしくなった。



こんなの見たら、「生きるってなんだろう」って思うよ。


どちらも経験できたから今は楽しく生きて行けてることは間違いではない。


そんなひきこもりでも、変わった方のひきこもりの話です。

多分、二つ目の現象はひきこもりの人で共感できるかもしれません。
分からないんですから。いつの間にかになっていた。って。

私は環境を変えたら立ち直れました。
ひきこもりの方、おすすめは稚内ですよー。世界変わりますから。「寂しさのあまり、北の風を浴びに、栃木から下道、鉄道で稚内まで33時間かけて行ったのですが、本当に良かったです。もし、社会復帰したい方おすすめします。みなさん、頑張りましょう」きっかけですよ。

 
これが稚内。




こっちは礼文島。


きれいな景色見たら変わるかもです。




こちらは前に書いた衣服の記事です。↓

2000年代前半のminiとフルーツのファッションが好き

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中央線系のファッションを思う

次の書いたスニーカーのページです。↓

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